道後温泉ふなや 創業380年

『坂の上の雲』と旅館ふなや

ふなやで過ごすひと時から小説の時代風景が見えてきます

NHKスペシャルドラマとして3年間にわたり放映される司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』。
道後温泉の旅館『ふなや(鮒屋)』は 小説『坂の上の雲』にも登場します。
正岡子規が中学4年生ころ、自由民権運動の演説に熱中し、当時有名な植木枝盛(うえきえもり)が高知から松山にきて鮒屋に宿泊したときも、子規はなかまと一緒に旅館までおしかけ意見を聞いたというエピソードです。
『ふなや』ならではの『坂の上の雲』の楽しみ方をご提案します。

『坂の上の雲』の登場人物とふなや

  • 司馬 遼太郎
  • 正岡 子規
  • 夏目 漱石
  • 高浜 虚子
  • 伊藤 博文
  • 井上 馨
司馬 遼太郎
司馬 遼太郎
『坂の上の雲』著者

愛媛を題材にした著作には、『坂の上の雲』のほかに、『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』、『花神』、短編『伊達の黒船』、『花屋町の襲撃』などがあります。

正岡 子規
正岡 子規

1867~1902(慶応3~明治35)
日本を代表する俳人。文学者。新聞記者。

1895年(明治28)10月6日、子規は夏目漱石と共に道後を散策し、今のふなや辺りで詠んだ句。

亭ところ亭ところ 渓に橋ある 紅葉かな
夏目 漱石
夏目 漱石

1867~1916(慶応3~大正5)
小説家、評論家、英文学者。

1895年(明治28)4月、松山中学の教師として赴任した。

はじめての 鮒屋泊まりを しぐれけり

また、高浜虚子は『漱石氏と私』、『いよのゆ』のなかで鮒屋で漱石と当時めずらしかった西洋料理を食べたことを回想している。

高浜 虚子
高浜 虚子

1874~1959 (明治7~昭和34)
子規門下の俳人。俳誌「ホトトギス」編者。

高浜虚子は明治より度々『ふなや』に来館しています。
1943年(昭和18)3月26日。太平洋戦争中、松山へ帰郷し『鮒屋』に泊まり、墓参りや、友人、俳句仲間に会い詠んだ句。

ふるさとに 花の山あり 温泉あり

虚子の戦時中であったが、ふるさとに帰ったことの喜びが伝わってくる句です。

麗らかに ふるさと人と うちまじり

(高浜虚子『句日記』より)

また、この滞在の際、幼時住んだ西の下(松山市柳原)の大師堂にあった『阿波の遍路の墓』を再建することを決意したそうです。今その地に虚子の銅像と句碑もあります。(高浜虚子『阿波の遍路の墓』ホトトギス 昭和31年3月号より)
1951年(昭和26)9月、正岡子規五十年祭が行われた時は年尾、立子の二子を伴い、鮒屋別館(現ふなや)に泊られた。道後公会堂(現子規記念博物館)で行われた俳句会は実に盛大であったという。

伊藤 博文
伊藤 博文

1841~1909(天保12~明治42)
初代内閣総理大臣。長州藩出身。

1909年(明治42)3月16日から同28日まで、古谷秘書(伊予出身)のすすめで、入湯を目的に道後『鮒屋』に滞在した。歩兵22連隊視察、大山祇神社参詣。

一日に一、二回必ず道後温泉本館『霊の湯』に入浴した。
酒とたばこが好きで煙草はシガー、酒は葡萄酒を常用した。
食事は、朝はパンと牛乳と鶏卵。
昼と夜は二、三の副食物の他、粥または雑炊三椀と少量の名古屋産の香の物位。
菓子は食べないが、果物は久松家から寄贈の物を時々賞味された。
淡白なものを好まれ番茶に塩を入れて飲むのが常であった。
当時六十九歳であったが、牛肉のすき焼きは好物であったという。

(酒井黙然 『道後温泉話題』より)

滞在中も詩、書を楽しみ、ふなやのためにも書を遺した。

井上 馨
井上 馨

1836~1915(天保6~大正4)
元老。長州藩出身。外務卿、外務大臣、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣を歴任。

1883年(明治16)12月から翌1884年(明治17)2月にかけて病気静養のため、道後『鮒屋』に滞在した。

ふなや流 『坂の上の雲』の楽しみ方のご提案

メッケルが好んだモーゼルワイン

秋山好古が学んだ陸軍大学校の教官として招聘したドイツ陸軍参謀少佐クレメンス・メッケル。教官を承諾する条件は「日本でモーゼルワインが手に入るか。」
このエピソードはドラマにも登場しました。

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子規が漱石と散策した庭園

正岡子規が俳句をつくり散策した当時の様子を追体験しませんか。

詠風庭

ふなや詠風庭はこちら

西洋料理を楽しむ

西洋料理

高浜虚子が「漱石氏と私」のなかで回想しているように、西洋料理がまだ珍しい頃、夏目漱石高浜虚子が楽しんだふなやで西洋料理を楽しみませんか。

ふなや洋食メニューはこちら

郷土料理を楽しむ

郷土料理

子規が愛した郷土の味であり、おふくろの味です。また、1892年(明治25)夏目漱石来松のときには、正岡子規の母が「松山鮓」でもてなしたそうです。

ふなやレストラン葵苔はこちら

関連サイト

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