traditional X modern 古から受け継がれる伝統と
モダンな感覚との融合

約三千年の歴史を持ち、日本三古湯の一つとも言われる道後温泉。

鮒屋旅館(現在の「ふなや」)はその道後の地に、江戸時代寛永年間(1627年頃)に開業しました。

以来三百九十余年、幾多の人々の旅の宿として愛され続けています。

伝統を大切にし格式を活かしながらも、良いものであれば新しいものも積極的に取り入れ、お客様をおもてなす。

それがふなやの心です。

  • 江戸時代頃の
    道後温泉とふなや

  • 昭和25年(1950年)に
    昭和天皇が
    ご宿泊されたお部屋
    (現在の展示室)

  • 平成5年(1993年)に
    松山の旅館では
    初めて屋内プールを設置

  • 平成23年(2011年)に
    オープンした、
    俳句の里を
    イメージしてつくられた
    俳句ラウンジスイート

funaya X haiku ふなやと俳句

俳句発祥の地の愛媛。ふなやにも多くの俳人・文化人がその足跡を残しています。

夏目漱石
夏目漱石
慶応3年(1867年)~大正5年(1916年)
小説家、評論家、英文学者
明治28年(1895年)4月、松山中学の
教師として赴任した。
夏目漱石句碑

ふなやの玄関横にある句碑

漱石とふなや

「 はじめてのふなや泊りをしぐれけり 」

明治28年(1895年)、夏目漱石が松山中学校の英語教師として赴任中、かねてから楽しみにしていた鮒屋旅館(現在のふなや)に宿泊しました。その喜びを素直に表現した句です。

その後、漱石と高浜虚子は鮒屋旅館でビフテキを食べました。

その時の模様は虚子の「漱石氏と私」に描かれています。

この三十年の帰省の時、私はしばしば漱石氏を訪問して一緒に道後の温泉に行ったり、俳句を作ったりした。その頃道後の鮒屋(ふなや)で初めて西洋料理を食わすようになったというので、漱石氏はその頃学校の同僚で漱石氏の下もとにあって英語を教えている何とかいう一人の人と私とを伴って鮒屋へ行った。

白い皿の上に載せられて出て来た西洋料理は黒い堅い肉であった。

私はまずいと思って漸く一きれか二きれかを食ったが、漱石氏は忠実にそれを噛かみこなして大概嚥下してしまった。

高浜虚子 「漱石氏と私」

正岡子規
正岡子規
慶応3年(1867年)~明治35年(1902年)
日本を代表する俳人、文学者、新聞記者
夏目漱石句碑

もみじ橋

子規とふなや

「 亭ところ々渓に橋ある紅葉哉 」

明治28年(1895年)、病気のために松山に帰郷した正岡子規は、親友であった夏目漱石の下宿で静養することになります。

そして、明治28年(1895年)10月6日、子規が漱石と散策の折に花月亭(現在のふなや詠風庭)近辺で詠んだのが、この句です。

ふなやではこの句を頂戴し、詠風庭を見下ろしながら本館と南館をつなぐ渡り廊下を、もみじ橋と命名しました。

高浜虚子
高浜虚子
明治7年(1874年)~昭和34年(1959年)子規門下の俳人。
俳誌「ホトトギス」編者

虚子とふなや

「 ふるさとに花の山あり温泉あり 」

高浜虚子は明治より度々ふなやに来館しています。

昭和18年(1943年)3月26日、太平洋戦争中に松山に帰郷した虚子が、ふなやに泊まった際に詠んだ句です。

戦時中ではありましたが、ふるさとに帰ったことの喜びが伝わってくる句です。

種田山頭火句碑

詠風庭にある種田山頭火の
句碑

山頭火とふなや

「 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 」
「 ほんにあたゝかく人も旅もお正月 」

「朝湯~」は、種田山頭火にとって残された贅沢の一つと書き残しており、温泉につかる心地よさが伝わってきます。

「ほんに~」は、昭和14年(1939年)に来松して初めての正月を詠んだ句です。

旅の終着地となった「一草庵」で、たくさんの人のぬくもりに包まれていたのでしょう。

種田山頭火
明治15年(1882年)~昭和15年(1940年)自由律俳句の最も有名な俳人の一人。

funaya X shibusawa 渋沢栄一のふなや宿泊

新紙幣一万円札の肖像画に採用された渋沢栄一氏。ふなやに宿泊された折の逸話をご紹介します。

渋沢栄一
渋沢栄一
天保11年(1840年)~昭和6年(1931年)
幕臣、官僚、実業家、教育者
東京商法会議所(現商工会議所)の初代会頭。
近代日本経済の父と呼ばれ、経済・教育に数々の功績を残す。

初めての愛媛で鮒屋旅館に宿泊

大正4年(1915年)9月29日 75歳の渋沢栄一は、第一銀行広島及び熊本支店開設披露その他のため、東京を発し、神戸・松山・広島・熊本に赴き、帰途大阪・京都に立寄り、10月11日に帰京しました。

宇和島出身の実業家山下亀三郎(やました・かめさぶろう、1867-1944)からの懇請を受け、初めて愛媛を訪れました。

9月30日夕刻、松山に到着した栄一は官民合同歓迎会に出席して鮒屋旅館(現在のふなや)に投宿依頼を受けたのか、宿では入浴後も深夜まで揮毫(きごう)しました。

この際、ふなやにも、自身と関係が深い養蚕に関する漢詩の書を残しております。

翌10月1日、栄一は8時40分に宿を発ち、道後公園を経て松山商業学校(現・愛媛県立松山商業高校)に赴きました。同校では図書室を一覧、記念植樹を行い、校庭で生徒に対して訓話をしました。

その後、県公会堂に移動して松山商業学校ほか中学校等の上級生徒らに対して講演を行い、その中で、「自己の才と資力、世の変遷の有様に鑑みて学に志さねばならない、今日の教育は精神の修養が不充分で道徳が駆逐される観があるので十分注意してほしい」と希望を述べました。

さらに愛媛県農工銀行でも商工業者に対して実業家の本領と題した講演を、松山城天守閣では諸銀行会社が合同で開催した午餐会に臨席、午後には再度、県公会堂に赴き女性を対象に、女子の高等教育に関する講演を行いました。

その日の午後3時40分、栄一は一泊二日の慌ただしい滞在を終えて松山駅を後にしました。

history ふなやと道後温泉の歴史

  紀元前
約1000年
道後温泉開創
飛鳥 596年
(法興6年)
聖徳太子が伊予の湯を訪れる

伊予の湯を訪れた聖徳太子は、湯の丘に碑文を建て、その感動を文字で表したと言われています。
当時の温泉郷は見事な椿が枝をさし交わすように生い茂り、まるで天寿国にいるようだとたたえています。

江戸 1627年
(寛永年間)頃
ふなや創業
1667年
(寛文7年)
伊佐爾波神社竣工
明治 1894年
(明治27年)
道後温泉本館完成
大正 1915年
(大正4年)
渋沢栄一氏のご宿泊を賜る
昭和 1930年
(昭和5年)
新渡戸稲造氏のご宿泊を賜る
1931年
(昭和6年)
与謝野鉄幹・晶子ご夫妻のご宿泊を賜る
1950年
(昭和25年)
昭和天皇陛下「御巡幸」にてご宿泊を賜る
1956年
(昭和31年)
政府登録国際観光旅館(106号)として認承
1963年
(昭和38年)
鉄筋4階建の新館を落成
1966年
(昭和41年)
昭和天皇皇后両陛下「植樹祭」にてご宿泊を賜る
1974年
(昭和49年)
天皇皇后両陛下(現 上皇上皇后両陛下)「献血大会」にてご宿泊を賜る
1980年
(昭和55年)
天皇皇后両陛下(現 上皇上皇后両陛下)「高校総体」にてご宿泊を賜る
平成 1990年
(平成2年)
皇太子殿下(現 天皇陛下)「国民文化祭」にてご宿泊を賜る
1993年
(平成5年)
ふなや全面改装

天皇皇后両陛下(現 上皇上皇后両陛下)「全国豊かな海づくり大会」にてご宿泊を賜る
1999年
(平成11年)
皇太子・皇太子妃両殿下(現 天皇皇后両陛下)「しまなみ海道開通」にてご宿泊を賜る
2004年
(平成16年)
秋篠宮同妃両殿下(現 秋篠宮皇嗣同妃両殿下)「全国生涯学習フェスティバル」にてご宿泊を賜る
2008年
(平成20年)
皇太子殿下(現 天皇陛下)「全国育樹祭」にてご宿泊を賜る
2009年
(平成21年)
高円宮妃殿下「日本海洋少年団全国大会」にてご宿泊を賜る
2012年
(平成24年)
秋篠宮殿下(現 秋篠宮皇嗣殿下)「湧水保全フォーラム全国大会」にてご宿泊を賜る
2017年
(平成29年)
彬子女王殿下「愛顔つなぐえひめ国体」にてご宿泊を賜る

眞子内親王殿下「愛顔つなぐえひめ国体」にてご宿泊を賜る

秋篠宮同妃両殿下(現 秋篠宮皇嗣同妃両殿下)「愛顔つなぐえひめ国体」にてご宿泊を賜る

皇太子殿下(現 天皇陛下)「愛顔つなぐえひめ大会」にてご宿泊を賜る

高円宮妃殿下「愛顔つなぐえひめ大会」にてご宿泊を賜る

movie ふなやの映像

(昭和10年頃)

※音声は入っておりません。